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*アユタヤおうちょう*

*しゅってん:フリーひゃっかじてん『ウィキペディア(Wikipedia)』*

*タイのれきし*

*せんしじだい*
*こだい?ちゅうせい* (BC3-1238)
*スコータイおうちょう* (1238-1448)
*アユタヤおうちょう* (1351-1767)
*トンブリーおうちょう* (1768-1782)
*ラッタナコーシンおうちょう* (1782-1932)
*タイおうこく* (1932-)
*ちほうのれきし*
[*へんしゅう*]

*アユタヤおうちょう**(**1351ねん* - *1767ねん**)はげん**タイ**の**ちゅうぶ**をちゅうしんにてんかいした**タイぞく**によるおうちょう。そうせつしゃはラーマーティボディー1せい(ウートーンおう)。*

*タイにおこったかくじだいのおうちょうどうよう、ちゅうごくとインド、ヨーロッパほうめんをむすぶちゅうかんにいちするちのりをいかし、ぼうえきがくにのとみとしてじゅうようであった。アユタヤおうちょうでもおうけをちゅうしんとして、どくせんてきなぼうえきがおこなわれた。おもにちゅうごくへのべいのゆしゅつでこくりょくをつけたほか、にっぽん、**りゅうきゅう**などのヒガシアジアこっか、トウナンアジアとうしょぶ、アラブ・ペルシアほうめんやせいようとかっぱつにぼうえきをおこない、ばくだいなとみをたくわえた。このとみをはいけいにアユタヤではとうじはんえいしていたクメールぶんかをきゅうしゅうしつつ、ちゅうごく、ヨーロッパ、ペルシャなどのぶんかのえいきょうをうけたどくじのはなやかなぶんかがかいかした。*

*もくじ*

[*へんしゅう*] *れきし*

*ウートーンおうのしゅっしんについては、れきししりょうじょうはっきりしていない。そのためいくつかのせつがていしゅつされてきた。なかには、やくびょう(おそらくは**コレラ**)でみすてた**チエンセーン**からいじゅうしてきたといったせつや、**スパンブリー**しゅっしん、**ロッブリー**しゅっしんせつなどがある。いずれにしろ、アユタヤちょうそうせつとうじの、きんりんのじょうきょうは、きたに**スコータイおうちょう**がりんせつしていたにもかかわらず、アユタヤをそうせつしたタイちゅうぶは、スコータイあさのりょうどでなかったこと、さらに、アユタヤじだいがはじまるちょくぜんまでのふるいいせきがタイちゅうぶでみつかっていることから、れきししりょうとしてまだみつかっていないおうちょうがすでにそんざいしていたことがうかがえる。あるいは、しょうこくがへいりつしていたというようなこともかんがえられる。たとえば、このくうはくき(アユタヤちょうそうせついぜんのタイちゅうぶ)にロッブリーやペッチャブリーはスコータイあさとはべつにちゅうごくにちょうこうしている。したがって、ウートーンおうのしゅっしんもおそらくタイちゅうぶのあるくにのおうけからだとかんがえるのがだとうであろうとかんがえられている。ちなみに、ウートーンというのはきんのゆりかごをいみし、でんしょうのなかでタイちゅうぶでこのなをもつおうはおおい。つまり、タイちゅうぶのなづけのしゅうかんでもある。*

*アユタヤおうきゅう・**サンペットきゅうでん*

*ウートーンおうは、おうちょうねんだいきではラーマーティボーディーというなできじゅつされている。おうがそくいするにあたり、スパンナプームおうけ(スパンブリー)のきょうりょくがふかけつであったことは、ごのたいスコータイせいさくでけんちょとなる。*

*ラーマーティボーディー(1せい)はこくないとういつのため、セイロンからふつそうをまねいて**かみざぶぶっきょう**(しょうじょうぶっきょう)をこっかのこうしきなしゅうきょうとするとともに、ヒンドゥーのほうてんである**ダルマシャスートラ**やタイでのかんしゅうをもとに(**さんしるしほうてん**)をせいびした。このさんしるしほうてんはきんだいてきなほうてんがせいびされる**19せいき**までタイのきほんほうてんとしてきのうすることになる。*

*14せいき**すえまでにはアユタヤおうちょうはトウナンアジアさいだいのせいりょくとしてみなされるようになるが、かんぜんにトウナンアジアちいきをあっとうするほどのじんこうにかけていた。このため、とうじすいたいしつつあった**クメールおうちょう**へせいりょくをのばしつつあったベトナムせいりょくにたいこうするため、ラーマーティボーディーはばんねん**アンコール**(**クメールじん**のとし)をこうげきしアユタヤのずはんにくわえた(**1362ねん**)。しかし、アユタヤはアンコールのかんぜんなしょうあくをすいこうすることはできなかった。スコータイおうこくとのかんけいは、スコータイがアユタヤにちょうこうするかたちとなったが、そのご、100ねんかかって、アユタヤあさがスコータイあさをへいごうし、スコータイあさはしょうめつする。しかしこのかていで、アユタヤにあらたにおこったスパンナプームおうけとスコータイのおうけとのいんせきかんけいがつよくなり、そのごもスコータイおうけはそんぞくしたとかんがえられる。*

*15せいき**にはマレーハントウの**マラッカおうこく**がアユタヤのなやみのたねとなる。マレーハントウではマラッカや**タンブラリンガ**いなんのマレーハントウしょとしが15せいきはやくから**イスラムキョウ**にかいしゅうするようになり、どくりつをせんげんするようになったためである。けっかてきにアユタヤはマレーハントウなんぶをうしなうが、マレーハントウほくぶをいじしこうきゅうひんをもとめてやってきたちゅうごくしゅっしんのしょうにんによりこくないのけいざいはうるおうことになる。*

*ビルマのしんこうによりはいきょとかしたアユタヤしがい*

*いっぽう、にしのビルマはちいきのはけんをキソイ、16せいきごろからしつようにアユタヤへのこうげきをくりかえしており、アユタヤはこれにあたまをなやまされることになる。ビルマ**タウングーおうちょう**のくんしゅ、**バインナウン**は**1569ねん**にアユタヤおう、**マヒントラーティラート**をくだしているが**ナレースワン**によってアユタヤはさいこうされた。こののち、ビルマがないらんにみまわれたことからいちじビルマのしんこうはおさまったようにおもわれたが、**コンバウンおうちょう**がおこってからふたたびアユタヤはビルマのしんりゃくになやまされる。**1767ねん**にはシンビューシンによって**アユタヤおうちょう**がめつぼうする。このときアユタヤのまちはてっていてきにはかいされていたため、ビルマぐんがたいきゃくしたのち、あらたにおうとなった**タークシン**はアユタヤさいこうをあきらめ**トンブリー**へとせんとする。*

[*へんしゅう*] *しそう*

*しろぞう**にのりややしんかくかされてえがかれたおう*

*スコータイおうちょう**ぜんきにおいては、じんみんとしたしく、てきせつにほごするせいかく(=**ポークン**であること)がこくおうにひつようなようそとされたが、アユタヤおうちょうにおいてはスコータイおうちょうこうきにはっせいしたダルマラージャ(ぶっきょうのほごしゃとしてのおう)のしそうをひきつぎ、ぶっきょうてきをもってくにをおさめるせいじをアユタヤおうちょうそうせつしゃラーマーティボーディーはじっせんした。そのいっぽうで、ヒンドゥーきょう(バラモンきょう)てきなしきさいのこい「おうはかみのごんげである(=**デーヴァラージャ**)」というしそうがクメールおうちょうのえいきょうをうけてうまれた。これはクメールおうちょうからのじんざいをたようした**サームプラヤー**おういこうけんちょである。このしそうは**タイぶんか**をヒンドゥーしょくにかえた。げんごにはサンスクリットごからのしゃくようごがふえ、ぶんがく、えんげきなどではヒンドゥーてきしきさいのつよいものがはっせいした。きゅうていないのさほうやしきたりなどにもこのけいこうがけんちょにみられ、こくおうにたいするけいごとしての**ラーチャサップ**(おうご)をつくりだし、**オーンカーンチェーンナム**のぎしきにみられるようななんかいなさほうをうんだ。「おうはかみである」ためいっぱんじんからかくりされ、おうにふれたりかおをみたりするいっぱんじんをしけいにしょするなどほうりつにまでえいきょうをあたえた。また、ぶっきょうをほごするおうとしてのせいかくは「おうは**うたてわせいおう**である」というかたちでうけつがれた。*

[*へんしゅう*] *しゃかい*

*こくおうはくにのヒエラルキーのちょうてんにたつそんざいであった。アユタヤしゃかいのきそてきなぶぶんはのうそんしゃかいであり、のうそんのじったいはいくつかのかぞくからなるむら(**ムーバーン**)であった。おおくのばあい、ゆうりょくしゃやじゅうみんからえらばれたむらのだいひょうがこののうそんしゃかいでのしきをとったり、ちゅうおうしゃかいとのれんらくやくをおこなっていた。じんこうみつどがきょくたんにすくないこともあって、これらののうそんではこさくのうでもたがやすとちをもっていた。*

*トウナンアジアのこのこうだいなこうさくちをしはいするくににとっては、どれだけろうどうりょくをかくほでき、ぐんじんをゆうすることができるかかがもんだいとなっていた。アユタヤもそのれいがいではなく、アユタヤのはってんはあいつぐせんそうでのしょうりのさいにほりょとしてつれてきたてきをろうどうりょくとしてりょうないでこうさくさせたことによるものである。また、アユタヤがたのくににくらべぎじゅつてきにおとっていなかったひとしのじじつもアユタヤのはってんをウナガシたよういんである。*

*すべての**プライ**とよばれる「じゆうじん」は**ナーイ**とよばれるしはいしゃそうのもとにしょぞくしなければならず、ナーイたちはへいえきやろうえきをプライにおわせたりした。このやくはプライじしんがぜいをおさめることでまぬかれることができたが、じっさいこれをおこなえるものはおおくなく、やくのくるしさにたえかねてべつのナーイのところへみうりするものもすくなからずいた。プライがあるナーイのもとににげこんだばあいにはそのナーイがちゅうおうせいふにろうどうしゃがすくなくなったということにたいしてばいしょうきんをしはらうことがおこなわれた。*

*アユタヤおうちょうにおいてはとみとステータスとせいじてきえいきょうりょくはきってもキリハナセないかんけいにあった。**サクディナー**にしたがって、かんりは**かんい**におうじてこくおうからでんえんをわりあてた。かんいはしょゆうしているプライのとうすうによってかわり、でんえんのわりあてのめんせきは、しょゆうしているプライのとうすうのおおければおおいほどおおかった。ヒエラルキーのちょうてんをなすおうはめいじつどもにこくないさいだいのとちしょゆうしゃであり、むろんしょゆうするプライのかずもおおくこれらはプライルワン(おうのプライ)とよばれた。これらのせいどをかくりつしたのは**トライローカナート**おうであり、**19せいき**までかんりらのしゅうにゅうげんとしてきのうしていた。*

*これらのせいどのそとにいたのはまず、ぶっきょうそうであった。ぶっきょうそうはろうえきなどのぜいからかいほうされた。くわえて、アユタヤにおいてはすべてのぶっきょうとのだんしはしゅっけするというふうしゅうがあり、このしゅっけをモラトリアムきかんとして、きょういくがおこなわれるとすることがおおかった。つぎにがいこくじんがこのせいどのそとにおりふつそうにおなじくぜいをめんじょされていた、なかでもとりわけ、ちゅうごくじんのせいりょくがおおきくじだいをくだるごとにけいざいりょくをましていき、アユタヤのけいざいをしはいするようになった。このちゅうごくじんのけいざいしはいはアユタヤほうかいごもつづき、げんざいでもそのけいこうがみられる。*

*ほうせいめんではラーマーティボーディ1せいによってダルマシャスートラのアユタヤばんであるタンマサート(**さんしるしほうてん**)がかんせい。これはごの**19せいき**にきんだいてききほんほうてんがせいびされるまでつづくが、これがタイのヒエラルキーとみぶんをかたちづくり、ゆるやかなみぶんせいどをけいせいした。*

*16せいき**にはアユタヤはビルマ・**タウングーおうちょう**のぐんもんにくだるが、ビルマによるかいらいのアユタヤおう**マハータンマラーチャティラート**のむすこ**ナレースワン**によって**1600ねん**までにビルマしはいまえのアユタヤにもどすことにせいこうし、ナレースワンはこののち、アユタヤのしょせいどのかいかくをだんこうする。*

*とうじのトウナンアジアはいわゆる**マンダラ・システム**とよばれる、たすうのどくりつしたとしこっか(ムアン)とどうめいをむすびちょうこうかんけいによってゆるやかにむすばれているれんごうこっかのたいけいをとることがいっぱんてきであり、アユタヤおうちょうもこのれいがいではなかった。とくにアユタヤしゅうへんのムアンにはしへいをゆうするおうぞくがはいちされていたが、このなかでもいちばんおおきなせいりょくをもっていたふくおう(**ウパラージャ**)にはおおきなちゅういがそそがれた。これは、ふくおうがしばしば、はんこうせいりょくになるおそれがあったためである。また、おうがしぬたびにあととりそうどうもたえずおこり、じぶんのようきゅうをとおすためにゆうりょくしゃがしへいをアユタヤじょうないにすすめるというじたいもたびたびおこっていた。*

*ナレースワンはまずムアンにおうぞくをおくせいどをはいしし、かわりにちゅうおうからかんりのはけんをおこないちほうぎょうせいをおこなうというシステムをどうにゅうした。このだんかいで、しばしこくおうにたいするはんたいせいりょくのあたまとなっていたふくおうによるふくしゅとのとうちははいしさせられ、ふくおうはしゅとアユタヤにげんじゅうなかんしのもと、すむようになった。*

*またナレースワンはしゆうせいだったプライをすべてこくおうのしょゆうにした。これはひつぜんてきにこくどすべてがおうのしょゆうぶつとするけっかをみちびいた。こくないのろうどうりょくのかんりなどもりろんじょう、おうのさいりょうでおこなうことができ、こくないのじんてきしげんをゆうこうにかつようすることができた。これはこくおうへのけんりょくのしゅうちゅうをまねき、かんりらがこくおうとしんぞくかんけいをつくろうとじぶんのむすめをこくおうにケンジョウするげんしょうがおこった。タイのれきしじょういっぷたさいのおうがおおいのはこのためである。*

*このようにかたちのうえでのちゅうおうしゅうけんかをじつげんしたナレースワンであったが、のうそんしゃかいのじちてきなしゃかいシステムまでをかいかくするにはいたらず、じじつじょうのちゅうおうしゅうけんがじつげんするのは**チャクリーおうちょう**にはいって**ラーマ5せい**をこくおうにむかえてからになる。*

[*へんしゅう*] *けいざい*

*アユタヤのけいざいはのうそんしゃかいのよじょうせいさんであるべいによってなりたっていた。*

*アユタヤのあったタイちゅうおうへいげんぶではしょくりょうにことかかなかったちいきである。アユタヤおうちょうかではぜいのしはらいとみずからのしょうひのためにじゅうぶんなべいのりょうをかくほすることはむずかしいことではなかった。またそのよじょうはふつそうにきしゃされることがおおかった。いっぽうアユタヤじだいのべいのせいさんほうほうのへんれきをみると、タイちゅうおうへいげんぶでは**13せいき**から**15せいき**にかけてへんかがしょうじている。**ほくぶ**や**とうほくぶ**ではそのきかん、すいいをちょうせいしておこなういなさくがつづけておこなわれていたが、ちゅうおうへいげんぶではじょうりゅうから**チャオプラヤーがわ**をつたってみずがあふれすいいのちょうせつがこんなんであるために、いわゆる**バングラちほう**からつたえられた**うきいね**がさかんにうえられるようになった。*

*これらのうきいねはいいかげんなこうさくほうほうをもちいてもかんたんにせいさんよじょうがはっせいしたため、ひじょうにやすいねだんでせいふがかいあげほとんどがちゅうごくにばいきゃくされた。そのためアユタヤおうちょうはばくだいなしさんをきずきあげた。またべいのせいさんやうんぱんのためにろうえきについたプライたちによっておおくのうんががけんせつされた。いわゆる**チャオプラヤー・デルタ**のきそがせいびされたのもこのころである。*

[*へんしゅう*] *がいこくとのせっしょく*

[*へんしゅう*] *せいようしょこく*

*だいこうかいじだい**、**じゅうしょうしゅぎ**ひとしもさんこうのこと。*

*フランスせいりょくとせっしょくするナーラーイおう*

*1511ねん**、アユタヤにどうねんにマラッカをせんりょうしたばかりの**ポルトガル**からがいこうしせつがとうらいした。これはタイのれきしじょうにおけるさいしょのおうべいせいりょくとのせっしょくとかんがえられている。5ねんごにはポルトガルのしせつがふたたびアユタヤにわたり、ポルトガルせいりょくのアユタヤりょうないでのつうしょうきょかをえた。**1592ねん**には**オランダ**がアユタヤにしせつをおくりつうしょうきょかをしゅとくし、こくないのべいのゆしゅつにかんしておおきなえいきょうりょくをえることになった。*

*がいこくとのぼうえきをせっきょくてきにすいしんしたとされるナーラーイおうは17せいきごろからはばをきかせはじめたフランスせいりょくとゆうこうかんけいをむすんでおり、**チャオプラヤー・コーサーパーン**らタイのかんりょうがフランスにがいこうしせつとしてはけんされている。また、イギリスやオランダはタイにこうじょうをけんせつするきょかをあたえられていた。いっぽうポルトガルはにっぽんじんせいりょくのたいとう(そのごナーラーイおうまでにぼつらく)やほんごくのぼつらくとあいまってかげをうすめており、しんこうせいりょくであるイギリス・フランスせいりょくとこさんせいりょくのオランダがアユタヤにおいてたいりつしはじめた。*

*ところが**1664ねん**にオランダせいりょくである**オランダひがしインドかいしゃ**がつうしょうのどくせんをもとめて、ポルトガルこっきをかかげぶそうしたふねで**チャオプラヤーがわ**かこうをふうさし、ちゅうごくしょうにんをとらえるというじけんがはっせいした。けっきょくのところオランダはナーラーイのしんようをうしないアユタヤないでぼつらくのうきめをみることになる。いっぽうナーラーイはとうじ、がいこうのけんいであった**コンスタンティン・フォールコン**をつうじてフランスにこのたすけをもとめた。こののち、**ロッブリー**にきんきゅうようのふくしゅとのけんせつを**ルイ14せい**のぎじゅつてきえんじょのもとおこない、ついでにフランスからいがくなどのせんもんてきちしきをもったせんきょうしやいんさつきなどがおくられてきた。このルイ14せいのもくてきはすなわちナーラーイおうのかいしゅうにあったとかんがえれている。むろん、ほんこう**しそう**でかいせつしたように、ぶっぽうのほごがおうのやくわりとかんがえられていたことから、とうていかいしゅうにはおよばなかった。*

*いっぽう、これらのキリストキョウのかくだいとフォールコンなどのせいようじんせいりょくのたいとうはちゅうごくしょうにんのえんじょのもとにあったかんりやぶっきょうせいりょくによりてきしされた。ナーラーイおうが1688ねんにしぬと。**ペートラーチャー**をちゅうしんとするせいりょくがナーラーイのむすこ、フォールコン、せんきょうしなどをころし、フランスせいりょくやしんフランスせいりょくをはいじょした。こののちペートラーチャーははくじんをこくないからついほうし、アユタヤをさこくこっかへとみちびいた。*

[*へんしゅう*] *ちゅうごく*

*しょうさいは**タイのかきょう**をさんしょう*

*ラーマーティボーディ1せいのじだいすなわちけんこくとうしょから、アユタヤとちゅうごくしょうにんとはりょうこうなかんけいをいじした。がいこくじんはアユタヤのしがいちにすむことはゆるされなかったが、ちゅうごくしょうにんだけはれいがいであった。そのご、にっぽんじんせいりょくやせいようじんせいりょくのぼつらくとともにちからをつけていき、アユタヤおうちょうのドルばこでありさこくこっかであったにっぽんもちゅうごくせんのにゅうこうはみとめていたことからペートラーチャーいこうめだってちからをつけた。また、アユタヤのしゅようゆしゅつひんもくであるべいのしょうひもちゅうごくなんぶでめだってじゅようがたかかったこともおおきなよういんである。*

[*へんしゅう*] *にっぽん*

*しょうさいは**アユタヤにっぽんじんまち**をさんしょう*

*14せいき**からにっぽんじんのアユタヤにゅうしょくはみられたが、めだってせいりょくがおおきくなるのは、**15せいき**こうはんから**16せいき**しょとうにかけてである。とくに、にっぽんで**とくがわばくふ**によるてんかとういつがなしとげられ、せんがなくなったため、**ようへい**のかたちでやとわれていた**ろうにん**のおおくがしつぎょう、かいがいにはたらきぐちをもとめたのがげんいんとかんがえられている。*

*いちじきちゅうごくとのぼうえきがくをしのぐせいりょくをほじしていた。ところが、1630ねんじのおう、**プラーサートトーン**おうによりやきうちにあいぼつらくした。*

[*へんしゅう*] *かんれんきじいちらん*