*アーノルド・トインビー*
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*アーノルド・ジョセフ・トインビー**(*Arnold Joseph Toynbee*、**1852ねん**8つき28にち* - *1883ねん**3つき9にち**)は**イギリス**の**けいざいがくしゃ**である。「**さんぎょうかくめい**」をがくじゅつようごとしてひろめたれきしかであり、せかいさいしょの**セツルメント**「**トインビー・ホール**」をおこした**セツルメントうんどう**のほっきにんの1にん。ときに「**セツルメントのちち**」ともよばれる。*
*イギリスのれきしか**アーノルド・J・トインビー**のおじ。**20せいき**さいだいの**れきしか**の1にんにかぞえられるアーノルド・J・トインビーとくべつするため、おいのほうにはミドルネームのジョセフがいれられることがおおい。*
[*へんしゅう*] *そのしょうがい*
*ロンドンのちょめいなみみかいでえいがくしいんかいいんであったジョセフ・トインビーのじなんとしてうまれる。ようねんきはおもに**ウィンブルドン**でくらし、はくあいかで『くのうのしんぴ』(MysteryofPain)のちょしゃジェームズ・ヒントンのえいきょうをうける。せいきのパブリック・スクールのきょういくをうけず、ギリシア・ラテンのこてんよりきんだいのぶんがく・てつがくをコノンだ。ミリタリ・カレッジににゅうがくするが、せいらいのきょじゃくのため2ねんにしてさる。18さいのとき、かいがんちかくのへきそんにどくしょにぼっとうして1ねんかんをすごしじこのしょうがいを**れきしてつがく**のけんきゅうにささげることをけついする。*
*1873ねん**、**オックスフォードダイガク**ににゅうがくしどくしょとゆうじんたちとのぎろんにより、けいじじょうがくからしゅうきょうもんだい・けいざいがくへとかんしんをうつす。このへんかは**ジョン・ラスキン**のちょさくにおおくをおっているという。**1878ねん**、ベリオル・カレッジのがくせい監とこうしにしゅうにんする。がくせい監としてインドいきのぶんかんようせいをまかされ、こうしとしては**1881ねん**10つきから**1882ねん**5つきにオックスフォードのオナー・ヒストリー・スクールでイギリスけいざいしにかんするれんぞくこうぎをした。ほかに**きゅうひんほう**かんりいいんかい・きょうどうくみあいいいんとしてかつどうしている。ゆうじんのミルナーきょうは、このころのジョセフについて「それはないしんのたえざるくとうと、きょうしおよびしみんとしてのがいぶかつどうをけつごうするものであり、ふつうのひとならいちダースものにんげんののうりょくをついやさせるものであった。そしてこのきんちょうがかれをころしたのである」とかいそうしている。**ヘンリー・ジョージ**の『しんぽとひんこん』にかんする2かいのこうぎをおこなったのち、やまいをえて30さいのしょうがいをとじた。*
[*へんしゅう*] *トインビーとトインビ・ホール*
*このようなけいいにより、ジョセフはひんこんもんだいになみなみならぬとりくみをみせていた。スラムがいのしさいである**サミュエル・バーネット**にえいきょうをうけ、そのかいけつを「ろうどうしゃきょういくとそれにともなういしきのこうじょう・かんきょうせいび」といちづけこれをおこなうためのしせつをつくろうとこころみた。これが**セツルメントうんどう**である。*
*しかし、うんどうのさいちゅうのやまいでジョセフはこころざしなかばにいのちをおとした。そのごの**1884ねん**、うんどうをひきついだバーネットのてによりジョセフのりそうをたいげんするための**ふくししせつ**として**せかいさいしょのセツルメント**「トインビー・ホール」がせつりつされる。このめいしょうは、とうぜんのことながらうんどうのほっきしゃであるジョセフにゆらいする。*
*そのため、ジョセフは**しゃかいふくしがく**において**ふくしじぎょうのせんくしゃ**としてあつかわれる。*
[*へんしゅう*] *「さんぎょうかくめい」のれきしか*
*ジョセフのしご、**1908ねん**に『さんぎょうかくめい』(LecturesontheIndustryRevolution)というだいのいこうしゅうがしゅっぱんされている。これは**1760ねん*?*1840ねん**のイギリスけいざいしをあつかったれんぞくこうぎのおぼえがきとジョセフーのてになるしんぶんきじなどをあわせたものであった。イギリスしほんしゅぎけいせいのためのれきしげんしょうをさす「さんぎょうかくめい」ということばをひろくしらしめたのは、このちょしょによってである。みずからしゅうしゅうしたとうけいをくしし、「かこいこみ」のけっかである**ヨーマン**かいきゅうのぼつらくとろうどうしゃのひんきゅうぞうだいをじっしょうしようとしている。ジョセフがれきしかとしてとくいだったのは、ぶんけんによるじっしょうとしゃかいかいかくかとしてのかんしんをあわせもったことであろう。それは**キリストきょうしゃかいしゅぎ**ものとしんじょうのうえできょうつうてんをもち、**コール**のろうどううんどうけんきゅうや**トーニー**のしほんしゅぎはったつしのせんくをなした。けいざいがくしゃとしてはイギリスこてんはけいざいがくの「**ちんぎんてっそく**」や「**じゆうほうにん**せいさく」をひはんするたちばをとった。しかしさんぎょうやひんこんもんだいのかいけつさくとしてろうしきょうちょう・かいきゅうのさいとうごうをきたいし、**ケインズ**のようにこっかのけいざいせいさくについてこうさつをすすめられなかった。さらにこくさいぼうえきのかんてんから「ていこくしゅぎ」をどうさつすることなどは、**ホブソン**をまたなければならない。ジョセフはちゅうせいのしゃかいけいざいがさんぎょうかくめいによってうしなわれにどとぎゃくもどりができないことをふまえ、ラスキンや**モリス**、**カーライル**のりんりとしほんしゅぎひはんをけいざいがくのなかにもちこみ**しゃかいかいりょう**のてだてをもさくした。かれは、**チャーティズム**から**こうせいけいざいがく**へといたるかときのひとであった。*

