*イマーム*
*しゅってん:フリーひゃっかじてん『ウィキペディア(Wikipedia)』*
*イマーム*(????*(imām))とは、**アラビアご**で「しどうしゃ」、「もはんとなるべきもの」をいみするかたりで、**イスラムキョウ**の「しどうしゃ」をさす。**スンニは**においては、**ムスリム**(イスラムきょうと)のだいしょうのしゅうきょうきょうどうたいをしどうするとうそつしゃのことをイマームとよぶ。いっぽう、**シーアは**においてはしゅうきょうきょうどうたいにとってとくべつなそんざいである「さいこうしどうしゃ」(しょうさいはこうじゅつ)をイマームとよぶ。*
| *きょうぎとしんこう* |
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*アッラーフ* ? *イスラーム* |
| *しどうしゃ* |
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*ムハンマド* |
| *ほうときはん* |
| *れきしてきてんかいとちょうりゅう* |
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*ウンマ* ? *ハワーリジュは* |
| *じゅうじつしているこうもく* |
| *さらにくわしくしる* |
*もくじ* |
[*へんしゅう*] *クルアーンにおけるイマーム*
*クルアーン**(コーラン)においては、げんぎいじょうのいみでのつかわれかたはしていない。*
[*へんしゅう*] *スンニはにおけるイマーム*
*イマームのもっともひろいいみでのようほうは、ムスリムにとってさいじゅうようのぎむのひとつである**れいはい**をしゅうだんでおこなうさい、しんとたちをしどうするやくをつとめるものをさすこしょうである。このいみでのイマームはげんそくとしてはじょうにんのやくではなく、**きんようれいはい**のようにモスクにひとびとがあつまってしゅうだんれいはいをおこなうときのみ、あつまったしんとたちのなかからもっともれいはいのもはんとしてふさわしいムスリムをえらびだしてイマームとすることになっている。きんようれいはいなどしゅうだんでれいはいをすることがのぞまれるしゅうきょうてきにじゅうようなひには、れいはいにさきだって**フトバ**とよばれるせっきょうをハティーブがおこなうが、ハティーブはおおくのばあいイマームがかねる。そのため、じっさいにはイスラムキョウにかんするきょういくをうけ、イスラムキョウのがくもんにつうじた**ウラマー**とよばれるようなひとびとがとくていのモスクのイマームをしょくむとしてつとめることがおおい。*
*てんじて、ひとびとのもはんとなるようながくしきのあるウラマーのこともイマームとよぶ。*
[*へんしゅう*] *シーアはにおけるイマーム*
*ムスリムたちの**きょうどうたい**を**イスラムきょうどうたい**(**ウンマ**)というが、ウンマのしどうしゃはけっとうじょうのりゆうにより**よげんしゃムハンマド**のじゅうていでむすめむこである**アリー**とそのしそんのみがふさわしいとかんがえるひとびとがシーアはである。シーアはは、アリーのしそんのみがウンマのちょうたるにふさわしいりゆうとして、ウンマをせいじてき・しゅうきょうてきにしどうするものは**かみ**(**アッラーフ**)のことばであるクルアーンをせいかくにかいしゃくできるものでなければならず、クルアーンをせいかくにかいしゃくできるものはちじょうにつかわされたさいごの**よげんしゃ**であったムハンマドいこうでは、ムハンマドのかぞくであるアリーとそのしそんだけであるとかんがえている。このような、アリーとそのしそんだけがもつことができるクルアーンをせいかくにかいしゃくしウンマのせいとうなちょうとなるべきじんぶつのことを、シーアはではイマームとよぶ。シーアはのしょはのうちさいだいたすうはである**じゅうにイマームは**などは、イマームはむ謬であり、クルアーンのかいしゃくからイスラムほう(**シャリーア**)のせいていにいたるまでさまざまなしゅうきょうじょうのりかいじこうはむ謬であるイマームのおしえによらなければならないとかんがえ、よげんしゃとれきだいのイマームたちのげんこうにかかわるでんしょうにしたがう。*
*アリーのいっかがさいしょの3にんの**カリフ**(よげんしゃのだいりとしてのウンマのしどうしゃ)、**アブー=バクル**、**ウマル**、**ウスマーン**よりもイマームとしてふさわしいとかんがえたげんしょのシーアはは、そもそもアリーがイマームにふさわしいとしたりゆうがよげんしゃのかぞくであったことにあるために、アリーのしごはアリーのむすこたちのうち、ムハンマドのむすめである**ファーティマ**をははとしてうまれた**ハサン**と**フサイン**の2にんがイマームとしてふさわしいとかんがえ、アリーをしょだいイマームとして、ハサンをだい2だいイマーム、フサインをだい3だいイマームにすいたいした。フサインのしごはそのしそんがイマームとしてシーアはのしどうしゃにたてられてゆくが、やがてどのアリーのしそんがイマームとしてふさわしいかをめぐってシーアははぶんぱをくりかえすことになる。まずはやいじきにぶんぱした**カイサーンは**はファーティマのちすじをじゅうようしせずハサン、フサインのいぼていムハンマド・イブン・ハナフィーヤとそのしそんをたて、**740ねん**に**ウマイヤあさ**にたいしてぶりょくほうきをおこなったフサインのまご**ザイド・イブン=アリー**をおんけんないぼけいムハンマド・バーキルよりもイマームにふさわしいとすいたいしたひとびとが**ザイドは**をけいせい、ムハンマド・バーキルとそのこうけいしゃ**ジャアファル・サーディク**をイマームとする**イマームは**からわかれた。さらに**765ねん**、ジャアファル・サーディクがしぬと、ジャアファルにせいぜんこうけいしゃしめいをとりけされていたちょうなんイスマーイールをおすひとびとがぶんぱして**イスマーイールは**となり、そのおとうと**ムーサー・カーズィム**をしょうにんしたイマームはのしゅりゅうはがやがて**じゅうにイマームは**をけいせいする。*
*シーアはのおおくのはでは、イマームのくらいはせんだいのせいぜんのしめいにしたがいこのうちのいちにんへとつたえられていくため、イマームのかけいのだんぜつによってイマームがふざいとなるききにしばしばちょくめんした。そのためにカイサーンはははやくにイマームをうしなってイマームはにきゅうしゅうされてしまい、しんとのしどうしゃとしてののうりょくにスグレていれば、アリーのしそんがのぞましいとはいえどもだれでもイマームになれるとしたザイドははしそうてきにはかぎりなくスンナはにちかづきながらもそんぞくした。これにたいし、9せいきイスマーイールははいっぱんのしんとたちにはふれることのできないゆうめいのせかいにおかくれになり、**さいごのしんぱん**のとき**マフディー**(**メシア**)としてさいりんするまでしぬことなくイマームのくらいをたもちつづけているとかんがえるりろんをうみだした。これを**ガイバ**(かそけこも)という。イスマーイールはのいちぶには**ファーティマあさ**や**ニザールは**としてせしゅうのイマームがふたたびあらわれるが、かれらのとうじょうとおうちょうのけんせつにはガイバにあったイマームがさいりんすることによってしゅうまつがもくぜんにきているとしんじるしゅうきょうてきじょうねつがみっせつにかかわっている。*
*874ねん**にだい11だいイマームがしんだのとどうじに、そのこうけいしゃムハンマドがゆくえふめいとなり、ちじょうからイマームをみうしなったじゅうにイマームはもガイバのりろんをうけいれた。じゅうにイマームはは、だい12だいイマームはガイバにはいったのであり、しゅうまつのときさいりんするのだとかんがえ、だい12だいイマームを「たいぼうされるものムハンマド」(ムハンマド・アル=ムンタザル)とよぶ。じゅうにイマームはでは、しんとがあやまりなくしんこうとこういをなしとげるためには、がくしきにとみ、む謬であるイマームのいしをおしはかってそのいしをたいげんすることのできる**イスラムほうがくしゃ**たちをイマームのだいりとしてそんけいし、そのいけんにしたがわなくてはならないとする。*
[*へんしゅう*] *スンナはにおけるだいイマームろん*
*イスラムキョウのたすうはである**スンナは**においてはイマームにはれいはいなどしゅうきょうてきなことがらにかんするしどうしゃといういじょうのいみはもともとそんざいしない。しかし、**アッバースあさ**きのイスラムほうがくじょうのぎろんにおいて、おそらくはシーアはのえいきょうをうけて、ウンマのしどうしゃである**カリフ**は、ウンマのしどうしゃたるよげんしゃのだいりにん(ハリーファ。カリフのごげん)としてのしかく(ヒラーファ)と、しんとたちのしゅうきょうてきこういのもはんとなり、しどうするべきしゃ(イマーム)としてのしかく(イマーマ)をかねそなえたものがなるべきであるとするりそうろんがとなえられるにいたった。このようないみでのカリフせいにおけるイマームいは、モスクにいるいっぱんのイマームとくべつして、イマームのなかのイマーム、すなわちだいイマームとよばれ、カリフとはハリーファ・ラスールッラー(「**かみのしと**のだいりにん」)にしてアミール・アル=ムウミニーン(「しんとたちのちょう」)であるとどうじに、だいイマームであるとかんねんされる。*
*スンナはにおけるだいイマームとしてのカリフは、シーアはのイマームとことなり、クルアーンやイスラムほうのかいしゃくけんはもたない。イスラムほうはイスラムほうがくしゃなどのウラマーたちのごういによってけいせいされるものであり、だいイマームはイスラムほうをちゅうじつにしっこうし、イスラムほうのりそうどおりにウンマをみちびいていくぎむがある。だいイマームは**クライシュぞく**のしゅっしんのだんしであり、しんしんがけんこうでありさえすればだれでもなることができ、きょうどうたいからのごせんによりせんしゅつされるいがいにも、ぜんにんしゃがじしんのこうにんをじこいしでにんめいすることによるせんしゅつほうがきょようされており、アッバースかによるじじつじょうのせしゅうはかんぜんにごうほうとされた。しかし、だいイマームがイスラムほうによらないきょうどうたいのうんえい(せいじ)をおこなったときは、**ムフティー**などのけんいあるウラマーのいけんやごういにもとづきだいイマームのしかくをはくだつされうるとし、このりろんによりカリフのはいいもかのうとされた。*

