*クオリティ・オブ・ライフ*
*しゅってん:フリーひゃっかじてん『ウィキペディア(Wikipedia)』*
*クオリティ・オブ・ライフ**(*Quality of Life*,りゃくご:QOL)は、いっぱんにひとの**せいかつ**のしつ、すなわちあるひとがどれだけにんげんらしいのぞみどおりのせいかつをおくることができているかをはかるためのしゃくどとしてはたらくがいねんである。*
*ほとんどおなじがいねんとしてサンクティティ・オブ・ライフ(sanctityoflife,りゃくご:*SOL*)というしゃくどがそんざいする。こちらは、あるひとがどれだけにんげんてきそんげんをたもったせいかつをおくれているかをはかるかんがえかたであり、ほんしつてきにクオリティ・オブ・ライフとなんらかわりのないものである。しかしながら、こうじゅつするがげんざいのにっぽんこくないには「QOLとは、ひとのいのちにいりょうかんけいしゃがじゅんいづけをするものだ」というあやまったかんがえかたがあって、いまだに「QOLかSOLか」というにこうたいりつてきぎろんがごをたたないのだが、これらはそうはんするがいねんではなく、こういったぎろんはむいみである。*
[*へんしゅう*] *がいねん*
*QOLにたいするとりくみは**いりょう**のれきしとともにはってんしてきた。いりょうはひとをみるものであり**いがく**は**びょうき**をみるものだとするかんがえかたがあったが、いりょうも**かがく**てきそくめんがつよくなり、「びょうきはなおったがかんじゃはしんだ」というじょうたいがもんだいとなった。*
*げんじょう、ちょうきりょうようをようするしっかん、ならびにしょうもうのはげしいしっかんやしんこうせいのしっかんでは、いたずらなえんめいちりょう、かんじゃへの侵襲がはげしいちりょうをけいぞくすることによって、かんじゃがみずからのりそうとするいきかた、もしくはしゃかいてきにみて「にんげんらしいせいかつ」とかんがえるせいかつがじつげんできないことがじかくされた。このようなじょうきょうを「QOL(せいかつのしつ)がていかする」とよんでいる。*
*これにたいして、かんじゃじしんがよりそんげんをたもつことができるせいかつをじつげんすることができるようかんじゃにえんじょをあたえることがひつようであるというかんがえかたがしょうじたのである。これを「QOL(せいかつのしつ)をいじする、こうじょうさせる」などという。*
[*へんしゅう*] *あやまったかいしゃくとそのまんえん*
*QOL(せいかつのしつ)はかんじゃがみずからじっかんするものであり、いりょうかんけいしゃがいかなるときでもこうじょうさせるべくさいぜんをつくしているものなのである。だから、「QOLはいきるにあたいしないいのちがあるというかんがえかた、SOLはにんげんはみないきるにあたいするというかんがえかた」などというしゅちょうはまったくいみをなさないものである。このようなあやまったしゅちょうはたとえば**ユウセイしそう**、**あんらくし**のぜひといったもんだいにかんするものであり、ほんこうでのべるQOL、SOLというがいねんとはいっさいかんけいがない。*
*QOLもSOLも、あるひとのいのちにかちがあるかいなか、そのかちはいかほどかなどをいっさいもんだいとしていない。そうではなく、たとえば「**がん**のげきつうでにちじょうせいかつをおおはばにししょうされたかんじゃにちんつうざいをとうよして、QOLのこうじょうをはかる」「せいかつをまんぞくにおくれなくなるほどのあくしんにくるしむかんじゃに鎮とざいをとうよしてQOLのこうじょうをはかる」というようなことをかんがえるさいにきそとなるがいねんなのである。*
*とくに、ちゆのきたいできない**しゅうまつきいりょう**ではせいぞんきかんをのばすことにおおきないぎはなく、QOLのいじこうじょうこそがちりょうのもくてきとなる。とくに、いたみなどのしょうじょうけいげんをもくてきとした**いりょう**は**かんわいりょう**とよばれる。*

