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*マクセンティウス*

*しゅってん:フリーひゃっかじてん『ウィキペディア(Wikipedia)』*

*こうていマクセンティウスのきょうぞう(**ルーヴルびじゅつかん**しゅうぞう)*

*マルクス・アウレリウス・ウァレリウス・マクセンティウス**(MarcusAureliusValeriusMaxentius、**278ねん**ころ-**312ねん**10つき28にち**)は、**306ねん**から**312ねん**にかけてざいいした**にしローマテイコク**こうてい。ぜんこうてい**マクシミアヌス**のむすこにして、**ガレリウス**みかどのぎりのむすこでもある。*

*もくじ*

[*へんしゅう*] *しょうがい*

[*へんしゅう*] *ぜんはんせい*

*マクセンティウスのせいねんがっぴはせいかくにはふめいだが、**278ねん**ころだとおもわれる。かれはごのこうてい**マクシミアヌス**とそのつまエウトロピアとのまにうまれた。*

*ちちマクシミアヌスは**285ねん**にこうていとなり、マクセンティウスはいずれこうていのざをつぐものとみなされてそだった。しかし、ちちと**ディオクレティアヌス**みかどとがきょうどうとうちしているきかんには、マクセンティウスにとくべつなせんれきやせいじてきなけいれきはみあたらない。くわしくはふめいだがはやいじきにかれはふくみかど**ガレリウス**のむすめウァレリア・マクシミラとけっこんし、ごにちょうなんウァレリウス・ロムルス(295ねんごろ?309ねん)とじなん(せいめいふめい)の2にんのむすこをもつ。*

*ちちマクシミアヌスみかどとディオクレティアヌスみかどは**305ねん**にそろってたいいし、それまで**テトラルキア**(よんふんとうち)の**ふくみかど**だった**コンスタンティウス・クロルス**と**ガレリウス**とが**せいみかど**になった。こうけいしゃこうほにはぜんこうていのむすこマクセンティウスとコンスタンティウスみかどのむすこ**コンスタンティヌス**とがいるにもせきらず、あたらしいふくみかどに**フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス**と**マクシミアヌス・ダイア**とがしゅうにんした。**ラクタンティウス**の「Epitome」によると、ガレリウスみかどはマクセンティウスをきらっており、かれをこうけいしゃからはずすようディオクレティアヌスみかどにはたらきかけたという。また、ディオクレティアヌスみかどじしんもマクセンティウスはこうていとしてぐんをひきいるにはのうりょくふそくとかんがえていたのだろう。けっきょく、マクセンティウスは**ローマ**からすうマイルハナレたじしょにいんきょすることになった。*

*よく**306ねん**にコンスタンティウスみかどがしきょした。かれのむすこコンスタンティヌスはこうていになのりをあげ、けっかてきにふくみかどとなることをガレリウスみかどにみとめさせた。コンスタンティヌスのせいこうがせんれいとなり、おなじとしのこうはんにマクセンティウスもけいしょうもんだいをおこすこととなる。*

[*へんしゅう*] *こういけいしょう*

*フォルム・ロマヌム**にあるマクセンティウスのバシリカ。ライバルであったコンスタンティヌス1せいがかんせいさせた。だいひょうてきなこだいけんちくのひとつ。*

*しゅとローマではあたらしいこうていについてのうわさがひろまった。そのないようは、いままでローマしみんだけはめんじょされていたじんとうぜいがかぜいされるというはなしと、ローマにちゅうざいする**このえへい**をかいさんするというはなしだった。このうわさにはんぱつしてしゅとローマでちゅうとんたいがぼうどうをおこし、そのしょうこうたちがマクセンティウスにこうていのざにつくよういらいした。しょうこうたちは、コンスタンティヌスみかども、じぶんとおなじようにこうていのむすこというたちばにあるマクセンティウスにはもんくをつけまいとかんがえたのである。マクセンティウスはそのいらいをうけ、しゅとのちゅうとんたいへのきふもやくそくしたうえで、**306ねん**10つき28にち**、おおやけにこうていしゅうにんをせんげんした。このこういさんだつはほとんどむけつ(ゾシムスによるとぎせいしゃは1にんだけ)で、ローマちょうかんもちいをたもったままマクセンティウスのはいかになった。*

*ルカニア**のきゅうでんでいんたいせいかつをおくるもとこうていマクシミアヌスにもきょうぼうのいらいがむかっていたが、このときには、かれはふっけんをことわっている。*

*マクセンティウスは、イタリアのちゅうおうぶいなん、**コルシカとう**、**サルデーニャ**しま、**シチリア**しま、**アフリカぞくしゅう**でこうていとみとめられるたちばをかちえた。イタリアほくぶはいぜんとして**ミラノ**にいるにしがわせいみかど**セウェルス**のとうせいかにあった。*

*とうしょマクセンティウスは、せいみかどガレリウスからせいしきにちいをしょうにんされることをきたいして、みずからはせいみかどやふくみかどなどはしょうさず「プリンチェプス・インヴィクタス(むはいのだい1にんしゃ)」のしょうごうをなのった。しかし、ガレリウスみかどがこうにんすることはなかった。ガレリウスみかどはマクセンティウスにどうじょうしていたとはいわれるが、コンスタンティヌスやマクセンティウスをまねてかってにこうていをなのりだすものがあらわれることをふせぐひつようがあった。コンスタンティヌスによるこういせんしょうにたいしては、ガレリウスみかどは、それが**テトラルキア**せいどとしてせいとうてきにこういけいしょうされたかのようにていさいをととのえた。このようなたいおうをとったいちいんは、コンスタンティヌスのばあいはちちのぐんだんとりょうどをしっかりしはいしていたことだったが、マクセンティウスのばあいはじじょうがちがった。マクセンティウスはテトラルキアではみとめられない5ばんめのこうていになってしまううえ、かれのめいれいにしたがうぐんだんはわずかしかいなかった。ガレリウスみかどはマクセンティウスのはんらんはかんたんにちんあつできるとかんがえ、**307ねん**しょとうにせいみかどセウェルスをたいぐんをつれてローマにむかわせた。*

*セウェルスみかどがひきいるぐんたいは、そのたいはんがマクセンティウスのちち**マクシミアヌス**みかどのもとでなんねんもせんえきをけいけんしたへいしであり、しかもマクシミアヌスみかどはかこにへいにたいきんをくばっていた。そのけっか、セウェルスぐんがローマにとうちゃくすると、ぐんのたいはんが、ぜんしきかんのこうけいしゃマクセンティウスのほうにねがえった。やがてマクシミアヌスじしんがいんとんちをハナレてローマにもどり、むすこをえんごしてふたたびこうていしょくにつくとせんげんすると、セウェルスみかどはのこったぐんをつれて**ラヴェンナ**にてったいした。せいめいのあんぜんをやくそくされたため、そのごまもなくセウェルスみかどはマクシミアヌスにごうぶくした。*

*セウェルスみかどをやぶったのち、マクセンティウスは**アルプスサンミャク**にいたるまでのキタイタリアとイストリアはんとうとをしはいし、セウェルスみかどののちにくういとなった(とマクセンティウスがかんがえる)せいみかどのくらいをなのるようになった。*

[*へんしゅう*] *こうていざいいちゅう*

*せいみかどとなったマクセンティウスのこうか*

*307ねん**のなつ、マクセンティウスとちちマクシミアヌスとのきょうどうとうちはさらにおおきなしれんをむかえた。ガレリウスみかどがよりおおきなぐんだんをつれてローマにしんぐんしたのである。マクセンティウスは、ガレリウスみかどとこうしょうをかさねながらも、いっぽうではセウェルスみかどにしたのとどうようにたいきんのやくそくとマクシミアヌスみかどのいこうによっててきへいのねがえりをはかった。そしてじっさいにおおくのへいがねがえったために、ガレリウスみかどはたいきゃくをよぎなくされ、マクセンティウスのイタリア・アフリカしはいがかくりつした。このたたかいのとちゅうでセウェルスみかどはマクセンティウスにさつがいされた(おそらくローマきんこうのトレス・タベルネとおもわれるが、せいかくなじょうきょうはわかっていない)。*

*マクセンティウスはコンスタンティヌスみかどとれんけいしたいとねらっており、307ねんのしょとうからせっしょくをだしんしていたが、このとしのなつになってマクシミアヌスが**ガリア**までおもむいた。いぜんこのちで、コンスタンティヌスはマクシミアヌスみかどのむすめファウスタとけっこんし、せんぱいこうていマクシミアヌスからせいみかどににんめいされたのである。しかし、コンスタンティヌスみかどはガレリウスみかどとはしょうとつしたくないとかんがえており、ガレリウスみかどとたたかうマクセンティウスにはめにみえるしえんはしなかった。*

*308ねん**のおそらく4つきごろ、マクシミアヌスはローマでぐんたいとともにいるむすこマクセンティウスをたいいさせようとした。ところが、そのときにぐんたいはむすこをしじしたので、ちちはおどろいてコンスタンティヌスみかどのもとにとうひなしければならなくなった。*

*308ねん**のあきに**カルヌントム**でひらかれたかいごうによってマクセンティウスのこういはまたしてもひごうほうだとひていされた。そして、**リキニウス**みかどがせいとうなこうていとしてマクセンティウスからりょうどをとりもどすやくわりをあたえられた。リキニウスみかどは**310ねん**にマクセンティウスから**イストリア**をとりもどしたが、よくねんにガレリウスみかどがやまいにかかりなくなったため、このせんえきはつづけられなかった。*

*308ねん**のおわりころ、アフリカぞくしゅうの**ドミティウス・アレクサンダー**が**カルタゴ**でこうていをなのり、マクセンティウスのしはいからハナレた。アフリカはローマのしょくりょうきょうきゅうをになっていたのでマクセンティウスはききてきなじょうきょうとなったが、**このえへい**たいちょうルフィウス・ウォルシアヌス(RufiusVolusianus)のかつやくにより、しょうすうのぐんだんでアレクサンダーをやぶってしょけいすることにせいこうした(**310ねん**か**311ねん**)。マクセンティウスはこのきかいをのがさずにアレクサンダーいちとうのとみをウバイ、ローマにたいりょうのこくもつをもちかえった。*

*マクセンティウスのちょうなんウァレリウス・ロムルスは**309ねん**にやく14さいでなくなり、**アッピアかいどう**のマクセンティウスのなをつけたむらのだいれいびょうにまいそうされた。**309ねん**か**310ねん**にちちマクシミアヌスもなくなり、そのごはコンスタンティヌスみかどとのかんけいがきゅうそくにあっかした。コンスタンティヌスみかどとリキニウスみかどとのれんごうにたいこうするため、マクセンティウスは**マクシミヌス・ダイア**とどうめいをくんだ。かれは、アルプスサンミャクのきたにある**ラエティア**ぞくしゅうをかくほすることでコンスタンティヌスみかどとリキニウスみかどとをぶんだんしようとしたが、コンスタンティヌスみかどのこうどうがはやかったのでさくりゃくはしっぱいしたとつたえられている(ゾシムスによるきじゅつ)。*

[*へんしゅう*] *さいご*

*312ねん**のはじめごろ、コンスタンティヌスみかどはアルプスサンミャクをこえてイタリアにしんこうした。なんかいかのせんとうでかれはマクセンティウスぐんをやぶり、10つきのおわりにローマにとうたつした。セウェルスみかどやガレリウスみかどとたたかったときのようなかごじょうせんがよそうされ、マクセンティウスがもりのかたいローマにたてこもっててきのしょうもうをまつとおもわれていたが、なんらかのりゆうによってマクセンティウスはせんぽうをかえ、**312ねん**10つき28にち**にけっせんとなる**ミルヴィオきょうのたたかい**がおこなわれた。むかしのしりょうにはコンスタンティヌスみかどがかみのけいじをうけたことがこのたたかいのけいきとなったというでんせつをきさいするものがおおいが、マクセンティウスにどのようなけいきがあったのかはおくそくのいきをでない。りょうぐんは、としのきたがわ、じょうへきのすこしそとの**テヴェレがわ**と**フラミニアかいどう**とがまじわるちてんでしょうとつした。キリストきょうのでんせつ(とくに**ラクタンティウス**や**エウセビオス**のしりょう)では、コンスタンティウスはゆめにあらわれた**ラバルム**のはたじるしをかかげてたたかったという。たたかいそのものについてはあまりつたわっていないが、マクセンティウスぐんはコンスタンティヌスぐんにやぶれ、マクセンティウスはこんらんのなかでテヴェレがわをわたってはいそうしているときにかわにおちおぼれじにんだ。マクセンティウスのいたいはよくじつはっけんされ、しちゅうをひきまわされたのち、かれのしをはっきりこじするためアフリカにおくられた。*

[*へんしゅう*] *りょうないのとうち*

*マクセンティウスがどのようにとうちしたのかについてはしりょうがすくなく、ごのコンスタンティヌスみかどによるプロパガンダのえいきょうもおおきいために、ふめいかくなぶぶんがおおい。ここでは、ぐんじりょくやしせいなどについてきさいする。*

*ぐんじりょく *
*マクセンティウスのぐんじりょくは、はじめはわずかなへいりょくで、**このえへい**ののこりとこうていのきへいしゅびたい、およびローマのとへいにすぎなかった。そのご、セウェルスみかどおよびガレリウスみかどとのたたかいにおいてリハンへいをきゅうしゅうすることでぞうだいし、さらに、アフリカのさいせいふくのときにこっきょうのちゅうとんへいのいちぶをイタリアにひきあげてせんりょくをました。それにしてもかれのぐんじりょくはけっしておおいとはいえず、アルプスサンミャクのかげというちのりとローマのようさいとしてのしゅびりょくにたよらざるをえなかった。*
*マクセンティウスキョウギじょうのいせき*
*ローマしせい *
*マクセンティウスのローマにおけるたちばはひとことではかたれない。かれは、ローマにだいきぼなけんちくぐん(マクセンティウスキョウギじょうなど)をきかくすることで、あらためてローマにしゅととしてのとっけんをあたえてそれをこじしようとした。いっぽうではローマしみんのもつとみにたよらざるをえないいちめんもあり、おそらくはローマにもぜいをかした。アフリカのはんらんによってローマへのこくもつきょうきゅうがとまったときには、しゅとはしょくりょうふそくとなり、ぼうどうによってやく6,000にんのいのちがうしなわれた。*
*ぎかい *
*ぎかいとのかんけいはとうしょはりょうこうだったが、マクセンティウスがぎいんにきふをきょうようするほうりつをさだめたためにけんあくなかんけいになったとおもわれる。マクセンティウスのしご、こういのぎいんたちはコンスタンティヌスみかどにかわってもそのまましゅっせしている。*
*しゅうきょう *
*マクセンティウスじしんはこだいローマからでんとうてきな**たしんきょう**をしんこうしており、ちちマクシミアヌスみかどとかんれんづけられるかみの**マルス**をとくにすうはいしていた。いっぽうで、りょうどないでのキリストキョウしんこうはようにんしていた。このころは**ディオクレティアヌス**みかどによるキリストきょうはくがいのよはがのこっており、きょうかいないできょうこう**マルケルス1せい**ときょうこう**エウセビウス**とがたいりつしていた。*

[*へんしゅう*] *れきししりょうについて*

*コンスタンティヌスみかどは、マクセンティウスにしょうりしたのち、マクセンティウスはざんこくでむのうなぼうくんだったというちゅうしょうをけいかくてきにひろめた。**ラクタンティウス**のしりょうのようなはやいじきのれきししりょうではキリストキョウをはくがいしたこうていにマクセンティウスはふくまれていないが、コンスタンティヌスみかどのプロパガンダのえいきょうで、ごのじだいにはマクセンティウスをキリストきょうのてきとみなすでんとうがうまれた。このイメージが、れきししりょうのほとんどにえいきょうしてきょうまでのこっている。ただし20せいきになってからは、こうかやひぶんなどぶんがくしりょういがいのしりょうのちょうさによるちゅうりつてきなけんきゅうもおこなわれている。*

[*へんしゅう*] *がいぶリンク*

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