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*さんぶいちむねのほうなん*

*しゅってん:フリーひゃっかじてん『ウィキペディア(Wikipedia)』*

*(**さんぶいちむねのはいぼとけ**からてんそう)*
Dharma wheel
*ぶっきょう*
*きほんきょうぎ*
*えんぎ** **したい** **はちせいどう*
*さんほういん** **よんほういん*
*しょぎょうむじょう** **しょほうむが*
*ねはんじゃくじょう** **いっさいみなく*
*じんぶつ*
*しゃか** **じゅうだいでし** **たつき*
*にょらい・ぼさつ*
*ふつのいちらん*
*ぶは・しゅうは*
*げんしぶっきょう** **かみざぶ** **だいじょう*
*ちいきべつぶっきょう*
*インドのぶっきょう** **ちゅうごくのぶっきょう*
*かんこくのぶっきょう** **にっぽんのぶっきょう*
*きょうてん*
*せいち*
*はちだいせいち*
*ウィキポータルぶっきょう*

*さんぶいちむねのほうなん**(さんぶいっそうのほうなん)とは、**ちゅうごく**で**ぶっきょう**をだんあつした**じけん**のなかで、きぼもおおきく、またこうせいへのえいきょうりょくもおおきかった4どのはいふつじけんを、4にんの**こうてい**の**びょうごう**や**しごう**をとって、こうよばれる。*

*もくじ*

[*へんしゅう*] *はいぼとけ*

*こうしゅうのばあいははいふつにあたってみちきょうととかかわったじじつがそんざいしなかったので、よむねじしんのいしでだんこうされたとみとめられている。ただし、はいふつののちに4にんのこうていともわかくしてひごうのしをとげており、ぶっきょうしゃのがわから「すべてぶつばつである」ということをきょうちょうするときには、こうしゅうのよむねもふくまれている。*

*きたぎのふとたけみかどととうのたけむねとは、**どうきょう**をほごするいっぽうでぶっきょうをだんあつしたが、きたしゅうのたけみかどはどうきょうもぶっきょうもともにだんあつした。そのいっぽうで、**つうどうかん**というしせつをしんせつし、ぶっきょう・どうきょうをけんきゅうさせている。ごにのべるようにどうきょうのほごだけにとまらずけいざいせいさくのいみもあった。*

*とうのたけたかしのぶっきょうだんあつについては、そのげんごうをとって**かいあきらのはいぼとけ**とよばれる。*

[*へんしゅう*] *4どのはいふつじけん*

  1. *きたたかし**の**ふとし**たけ**みかど**(ざいい :**423ねん* - *452ねん**)の**たいへいしんくん**ねんかん。*
  2. *きたあまね**の**たけ**みかど**(ざいい :**560ねん* - *578ねん**)の**けんとく**ねんかん。*
  3. *とう**の**たけ**そう**(ざいい :**840ねん* - *846ねん**)の**かいあきら**ねんかん。*
  4. *こうしゅう**の**よ**そう**(ざいい :**954ねん* - *959ねん**)の**けんとく**ねんかん。*

[*へんしゅう*] *かくはいふつじのおうぎ惑者とされるじんぶつ*

[*へんしゅう*] *ちゅうごくのぶっきょうだんあつ*

*ぶっきょうだんあつ(=ほうなん)じけんであるが、こうていけんりょくのつよいちゅうごくにおいてはこの4どにかぎらず、ぶっきょうをはいせきするせいさくはたびたびとられている。そのばあいは、だいきぼなはいふつとはくべつするいみで、**さた**というようごがもちいられたり、げんだいてきにはぶっきょうとうせいせいさくとよんだりしている。たとえば、**げんしょうさんぞう**のだいだいてきなわけけいじぎょうをがいごした**とう**の**ふとそう**も、ぶっきょうをさたするみことのりをはっしている。*

*だんあつするいせいしゃがわからは「**はいぼとけ**」とよぶが、だんあつされる**ぶっきょう**がわからはひなんのいみをこめて、ぶっきょうにとってこのこうていのじだいはふうんであったことをあらわすことばとして「**ほうなん**」がもちいられる。ふるくは、こうじゅつされるせいじ・けいざいじょうのよういんまでこうりょされることがなく、ぶっきょうにたいするこうげきのうらにはかならずどうきょうせいりょくのあんやくがあったため、それにおうぎ惑されたこうていがはいふつじけん(ぶっきょうがわからみたほうなん)をひきおこしたのだとするいっぽうてきなみかたをされるのがつねであった。*

[*へんしゅう*] *だんあつせいさくのないよう*

*だんあつせいさくのぐたいてきないようは、**じいん**のはかい(ただし、かならずしもしせつのはかいをいみするわけではない。いっぱんしせつやじゅうきょにてんようされるばあいがおおい)とざいさんのぼっしゅう、**そう**の**げんぞく**であり、とくにこうしゅうのよむねのばあいはじゅんすいに、じいんのざいさんをぼっしゅうするとともに、こっかのこうにんしたたびそうせいどによらずかってに**とくど**したしゃ(**わたしど**そう)やだつぜいもくてきでそうせきをとるもの(**にせ濫僧**)をげんぞくさせてぜいをかそうとする、ざいせいかいぜんをねらったけいざいせいさくであった。どう(かへいのざいりょう)やてつ(ぶきのざいりょう)というきんぞくをちゅうしんとしたぶっしをぶつじちゅうのぶつぞうや**ぼんしょう**などからえることも、とうじのじょうせい(とうのたけたかしじだいのどうせんふそくによるけいざいこんらん、こうしゅうのよむねじだいのいわゆる「**じゅうこく**」のさいとういつじぎょう)からして、さしせまったもんだいであった。*

[*へんしゅう*] *ぶっきょうのえいきょうりょく*

*ぐんじめんでもしゅっけしてぐんせきからリダツするこくみんがたりょうにでることは、とくにせんらんのじだいにあってはいたでであった。とくに**ごえびすじゅうろくこくじだい**には、それまでけいじけいのしゅうきょうがちゅうごくにはなかったこともあってぶっきょうのえいきょうりょくはぜつだいで、**きたひとし**のしかん**ぎおさむ**は、てらさんまん、そうに200まんとしるしており、このすうじをうのみにするならば、ぜんじんこうが1000まんにもたっしなかったであろうとうじのかっきょせいけんにとって、そのようなぼうだいなじんこうをふたたびこくせいにもどすことはひつようにせまられてのじじょうであったといえる。ただ、3まん箇寺、そうに2ひゃくまんにんというのは、ほくちょう・なんちょうにかかわらず、『**ぎしょ**』いがいのしりょうにみえるすうじとひかくしてもいちじるしくとっしゅつしており、ぶっきょうすうはいのへいがいをきょうちょうしようとしてこちょうしたものとかんがえられる。*

[*へんしゅう*] *かんれんこうもく*

*たのげんご*