*たつき*
*しゅってん:フリーひゃっかじてん『ウィキペディア(Wikipedia)』*
| *たつき(Naagaarjuna)* | |
|---|---|
| *150‐250ねんころ* | |
*ずじょうにナーガをいだくたつき* |
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| *そんしょう* | *たつきぼさつ* |
| *きじ* | *インド* |
| *ぼつち* | *インド* |
| *しゅうは* | *ちゅうかんは* |
| *し* | *おおたつぼさつ(マハーナーガ)* |
| *ちょさく* | *ちゅうろん* *たいちどろん* |
*ナーガールジュナ**(naagaarjuna, Nāgārjuna)、かんやくめい**たつき**(りゅうじゅ)は150‐250ねんころ(なまぼつねんふしょう)の**インド**ぶっきょう**のそう。**はちむね**の**そし**。**しんごんはちそ**(しんごんはっそ)のいちにんであり、また、**じょうどしんしゅう**ななこうそう**のだいいちそ。**かんじせいげん**(**とうようかんじ**・**じょうようかんじ**・**きょういくかんじ**)じょうのひょうきは**りゅういつき**だがようれいはすくない。みっきょうけいのぶっきょうでは**りゅうたけし**(りゅうみょう)とよばれることもある。*
*なまえは**サンスクリット**で、**ナーガ**はへび(へびしんてんじてりゅう)、アルジュナはインドしんわの**マハーバーラタ**にとうじょうするぶしょうから(てんじてえいゆうのいみもある)。にっぽんではかんやくめいのりゅうじゅでしられる。*
*もくじ* |
[*へんしゅう*] *がいよう*
*みなみインドのビダルバのしゅっしんの**バラモン**とつたえられ、おさないころからおおくのがくもんにつうじた。**サータヴァーハナあさ**のほごのもと、**セイロン**・**カシミール**・**ガンダーラ**・ちゅうごくなどからのそうりょのためにそういんをもうけた。このち(ことハイデラバードのひがし70km)はごにナーガールジュナ・コーンダ(おか)とよばれる。*
*たいしゅうぶ**・**かみざぶ**・かみざぶけい**せついっさいゆうぶ**、さらにはとうじはじまった**だいじょうぶっきょう**うんどうをたいけいかしたともいわれる。ことにだいじょうぶっきょうのきばんとなる『**はんにゃけい**』できょうちょうされた「**そら**」を、**むじしょう**にきそをおいた「そら」であるとろんじて**しゃか**の**えんぎ**をせつめいし、ごのだいじょうけいぶっきょうぜんぱんにけっていてきえいきょうをあたえる。このことによりたつきぼさつは「だいじょうはちむねのそ」としてあおがれている。*
*かれのおしえは、**はとまら什**によってちゅうごくにつたえられ、**さんろんむね**がせいりつ。また、**シャーンタラクシタ**によってチベットにつたえられ、**ツォンカパ**をちょうてんとする**チベットぶっきょう**きょうがくのちゅうかくとなる。8せいきいこうのインド**みっきょう**においても、たつきをちょしゃとする『**ごしだい**』などのたすうのぶんけんがあらわされた。にっぽんには**さんろんむね**がでんらいしたもののすいたいしてしまい、このきょうぎをちゅうしんにすえるとくべつなりゅうははそんざいしない。しかし、だいじょうぶっきょうのほとんどのしゅうはではじゅうようなそんざいとして「はちむねのそ」とよばれあがめられている。*
[*へんしゅう*] *しょうがい*
*インドげんてんでつたわるナーガールジュナでんがそんざいしないためしがくてきにげんみつなしょうがいはふしょうであるが、**はとまら什**わけとつたえられる『たつきぼさつでん』などによってしょうがいのがいようをうかがいしることができる。むろん、しんぴしゅぎしゃたちによるこうせいのフィクションがおおいためそれをそのままうけとることはできないが、とうじのひとびとがりゅうじゅをどのようにつたえていたかをしるうえでじゅうようなしりょうであるとかんがえられている。*
*たつきぼさつでんのでんせつはいかのとおりである。このでんせつはがくしゃによってははとまら什作ともしゅちょうされており、しんぎのほどはさだかではない。(このほかにもしょつてがそんざいする。)*
*てんせいのさいのうにめぐまれていたたつきはそのがくしきをもってゆうめいとなった。たつきはさいのうゆたかな3にんのゆうじんをもっていたが、あるひたがいにそうだんしがくもんのほまれはすでにえたからこれからはかいらくにつくそうときめた。かれらはじゅつしからこもみのひじゅつをえ、それをもちいおうきゅうにしばしばはいりこんだ。100にちあまりのまにきゅうていのびじんはすべておかされ、ニンシンするものさえでてきた。このじたいにきょうがくしたおうしんたちはたいさくをねりすなをもんにまき、そのあしあとをたよりにかれらをおったえじにより3にんのゆうじんはきりころされてしまった。しかしおうのかげにみをひそめたたつきだけはざんさつをまぬかれ、そのときあいよくがくのうとふこうのげんいんであることをさとり、もしきゅうていからとうそうすることができたならばしゅっけしようとけっしんした。*
*じじつ、とうそうにせいこうしたたつきはさんじょうのとうをたずねじゅかいしゅっけした。**しょうじょう**のぶってんをわずか90にちでどくはしたたつきは、さらなるきょうてんをもとめ**ヒマラヤ**さんちゅうのろうびくからいくらかのだいじょうぶってんをさづけられた。これをまなんだのち、かれはインドちゅうをへんれきしぶっきょう、ひぶっきょうのものたちとたいろんしこれをうちやぶった。たつきはそこでまんしんをおこし、ぶっきょうはろんりてきにかんぜんでないところがあるからぶってんのひょうげんのふびなてんをすいりし、1がくはをそうりつしようとかんがえた。*
*しかしマハーナーガ(おおたつぼさつ)がりゅうじゅのまんしんをアワレミ、たつきをかいていの**りゅうみや**につれていきだいじょうぶってん(『**はんにゃけい**』のことか?)をさづけた。たつきは90にちにおいてこれをどくは。ふかいいみをさとる。*
*たつきはりゅうによってみなみインドへとかえされ、こくおうをきょうかするためみずからおうぼしてしょうぐんとなり、まばたくまにぐんたいをせいびした。おうはよろこびいったいおまえはなにものなのかとたずねるとじぶんはぜんちしゃであるとたつきはこたえ、それをしょうめいさせるためおうはこんかみ々はなにをしているのかとたずねたところ、たつきはじんつうりきを以ってかみ々と**あくま**のせんとうのようすをおうにみせた。これによりおうをはじめとしてきゅうていのバラモンたちはぶっきょうにきえした。*
*そのころ1にんのバラモンがいて、おうのはんたいをおしきりたつきととうろんをかいしした。バラモンはじゅつによりきゅうていにおおいけをかさくし、ちばのれんげのうえにすわり、きしにいるたつきをちくしょうのようだとののしった。それにたいしたつきはろくきばのしろぞうをかさくしいけにはいり、はなでバラモンをちじょうになげだしかれをくっぷくさせた。*
*またそのときしょうじょうのぶっきょうしゃがいてつねにたつきをにくんでいた。たつきはかれにおまえはわたしがながいきするのはうれしくないだろうとたずねるとかれはそのとおりだとこたえた。たつきはそのごしずかなへやにとじこもり、なんにちたってもでてこないためでしがとびらをやぶりへやにはいるとかれはすでにいきたえていた。*
*たつきのしご100ねん、みなみインドのひとたちはびょうをたてりゅうじゅをぶつだとおなじようにあがめていたという。*
[*へんしゅう*] *たつきのそらかん*
*この「そら」のりろんのたいせいはりゅうじゅの『**ちゅうろん**』などのちょさくによってはたされた。(なお、でんとうてきにりゅうじゅのちょさくとされるもののうち『ちゅうろん(頌)』いがいのほとんどは、きんだいぶっきょうがくではりゅうじゅのしんさくかうたがわしいとみられている。)*
*たつきは、そんざいというげんしょうもふくめて、あらゆるげんしょうはそれぞれのいんがかんけいのうえになりたっていることをろんしょうしている。このいんがかんけいを**しゃか**は「**えんぎ**」としてせつめいしている。*
*さらに、いんがかんけいによってげんしょうがあらわれているのであるから、それじしんでそんざいするという「ユニークなじったい」(=じしょう)はないことをあかしている。これによって、えんぎによってすべてのそんざいはむじしょうであり、それによって「そら」であるとろんしょうしているのである。りゅうじゅの「そら」はこれから「むじしょうそら」ともよばれる。*
*しかし、そらであるげんしょうをにんげんがどうにんしきしりかいしてかんがえるかについては、ちょくせつてきにちかくするということだけではなく、にんげんどくじのがいねんかやげんごをしようすることがかんがえられる。たつきは、にんげんがそらであるがいかいをにんしきするさいにつかう「ことば」にかんしても、かりにしせつしたものであるとする。*
*『**だいしなはんにゃけい**』のなかにいじょうのないようがふくまれているため、たつきじしんがこのきょうてんへんさんにたずさわっていたのではないかというせつもある。*
*このせつを、そらであるほうのせかいと、げんごによってあやまってがいねんてきににんしきしたせかいを、それぞれ**しんたい**と**ぞくたい**というふたつのしんりがあるとする。ことばではひょうげんできないしゃかのさとりはしんたいであり、ことばでひょうげんされたしゃかのことばをあつめたきょうてんなどはぞくたいであるとする、**にたい**せつとよばれる。*
*さらに、たつきは「むじしょうそら」から「なか」もしくは「**ちゅうどう**」もほぼどうぎごとしてあつかい、しゃかのちゅうどうへのかいきをといている。*
[*へんしゅう*] *ちょさく*
- *ちゅうろん(madhyamakakArikA)(せいかくには頌のみかれのちょさく)*
- *せついっさいゆうぶ**をだいひょうとするじつざいろんをひていし、せぞくにおいては、すべてのものはじったいとしてにんしきすることはできず、たんにことばによって施説されたものであるととく(「ゆう」または「む」または「うむ」または「ひゆうひむ」)。まさよしにおいては、それらすべてのげんごかつどうすらとめめっする(「ゆう」または「む」または「うむ」または「ひゆうひむ」において、そのすべてのひてい)。このしゅちょうをうけついだのが**ちゅうかんは**である。*
- *まわりいさかいろん**(えじようろん、vigrahavyAvartanI)*
- *そらななじゅうろん* (zUnyatAsaptati)
- *ヴァイダルヤろん*
- *じゅうにもんろん**-しんぎもんだいがみかいけつ。*
- *たいちどろん**-しんぎもんだいがみかいけつ。*
- *ま訶般わかはらみつけい**-『だいしなはんにゃけい』のひゃくかんにおよぶちゅうしゃくしょである。*
- *じゅうじゅう毘婆いさごろん**(じゅうじゅうびばしゃろん)-しんぎもんだいがみかいけつ。だいじょうぼさつのかいいについてろんじゅつしている。ことにえきくだりひんによって**じょうどきょう**のおうじょうとじょうぶつがろんしょうされている。*
- *たからこうおうせいろん*(ratnAvalI)
[*へんしゅう*] *れんきんじゅつ*
*インドではぶっきょうのそうであるよりも**れんきんじゅつ**し・**せんせいじゅつ**しとしてゆうめいでちょさくでんせつがあるが、これはこのこうでふれているたつきよりもはるかこうだいにしゅつげんしたどうめいのれんきんじゅつしとこんどうされているためである。*
- *『ラサ=ウパニシャッド』-ナーガールジュナさくのれんきんじゅつのほうほうがきじゅつされている。*
- *『ラサ・ラトナーカラ』、げん奘『**だいとうせいいきき**』-ナーガールジュナとサーリヴァハーナおう(引正おう)のたいわ(ふろうちょうじゅのれいやくなど)。*
- *『ラサラトナ=サムッチャヤ』(すいぎんのたからのしゅうせい)-すいぎんがくの27にんのがくしゃのなかでナーガールジュナ(とナーガボーディ(りゅうさとし?))をあげる。*
[*へんしゅう*] *がいぶリンク*
- *そらのしそう---ナーガールジュナのしそう---*
- *たつきとインドろんりがくのたんじょういしとびみちこ*
- *たつき(ひろすみてらのホームページ)*
- *まつおかただしつよし せんやせんさつ(「そらのしそうし」たちかわむさし)*
- *くにやくかいせつ たいちどろん(つばめどうつうしん)*
- *(ひゃっかじてん)「Nagarjuna」* - *インターネットてつがくひゃっかじてん**にある「たつき」についてのこうもく。**(えいご)*
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